ひどく寒い。
全身を上下させ、荒々しい呼吸の中で、必死に頭を回転させる。
寒い。
だがその寒さは、たとえば冬の寒さだとか、雪の冷たさなどではない。むしろ背中には、ジットリとした蒸し暑さが漂う。
暑くて全身に汗を掻いている。なのに、噴出すそばから蒸発し、急激に体温を奪っている。
暑いのに寒い。
わかるだろうか?
暑いのに、寒いのだ。
美鶴は、ようやく整い始めた呼吸の中で生唾を呑んだ。渇いた喉に、ヒリリと痛い。
そう、とても喉が渇いている。吐き気に耐えた腹と喉が、激しく水分を欲している。
呼吸に上下する全身には、鈍痛が滞っている。
何があったのか?
思い返して甦る、息苦しさ。あまりの苦しさに、声も出なかった。
いや、実際には出していたのかもしれない。ただ自分の声に耳を傾けることができるほど、美鶴には余裕もなかった。
重い痛みの圧し掛かる全身。だが今の美鶴には、その身体に両手を回して労わってやる術はない。
なぜならば、美鶴の両手は後ろで縛られている。両足首も然り。
縛られたままの身体に痛みのような気分の悪さが襲い掛かり、吐き気に床をのた打ち回った美鶴は埃まみれだ。
何なのだ?
考える。
何が起こったのだ。
さらに記憶を遡る。
独りの駅舎。霞む視界。全身への衝撃。特に頭。
そう言えば、突くような臭いがした。誰かに押し倒されて、頭を打った。
そこから記憶がない。
記憶がないのに、なぜだかひどく、楽しかったような気がする。ひどく苦しかったのに、ひどくフンワリとした、浮遊感だけがなんとなく残る。
辛かったのに、楽しかった?
鼻を突く臭い。
……… シンナー?
「やっとおとなしくなったね」
暗闇の中に響く人影。
そう、ここは暗い。正確には薄暗い。
横たわる床の近くに机があるらしい。そこから光は漏れている。だがそれだけ。
この部屋には窓もないのか? それとも、今は夜なのか?
口を塞がれているワケではないのに、答えることもできない美鶴。人影がゆっくり首を傾げる。
「二百十日」
ポツリと呟く。
「立春から数えて二百十日目。現在の暦で言うならば、八月末日か九月一日になることが多い」
携帯を眺めているのだろうが、画面からの明かりよりも、より強い明かりを背後から浴びている。見上げる角度も悪いのだろう。顔は見えない。
「九月は稲の収穫時期。その頃に来る台風はまさに厄災」
少し掠れた、甘い声。
「ゆえにその昔、嵐の来る確立が高い二百十日は、八朔や二百二十日と共に厄日として恐れられていた」
甘い声。
「今日は君にとって、まさに二百十日というわけだ」
パチンと、携帯をたたむ音。
首を捻り、明かりが当る。少年の顔が、白々と光る。
「頭は痛い?」
――――――っ!
再び記憶が、飛ぶかと思った。
「脳震盪なんてヘタしたら死ぬかもと思ったけど、まぁこっちとしては、死んでもらってもかまわなかったワケだから」
開けた口からは言葉も出ず、瞠目したまま瞬きもできない。
「お久しぶりだね。元気だった?」
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